カラダのしくみ|対談|そもそも、私たちの「カラダ」って何なんだろう?【前編・無料公開】
▼音声マガジンはこちらです
【前編無料公開中です】
そもそも、私たちの「カラダ」って何なんだろう?
平岡:
こんにちは、平岡充乃介です。
かおり:
こんにちは、安藤香織です。
平岡:
今日はカラダLABOの第1回ということで、かなり根本的なところから始めてみたいと思います。
かおり:
はい、よろしくお願いします。
平岡:
お願いします。テーマは「カラダのしくみ」です。
かおり:
はい。すごく広いですね。
平岡:
すごく広いですよね。
筋肉とか骨とか自律神経とか、いろんなことを皆さん想像するかもしれないんですけど、今回はそういう細かい身体の話を始める前に、もう少し大きな問い、
「カラダのしくみとは何ぞや」
というところから始めていきたいなと思います。
なんかもう、ざっくりとした問いになりますが、かおりちゃん、そもそも「カラダ」って何なんでしょう。
「カラダ」って、そもそも何なんだろう?
かおり:
ね。カラダって、すごい不思議ですよね。
私たち、生きている間中ずっとカラダと一緒にいるじゃないですか。
なので、当たり前にそこにあるけれど、なんか雑に扱いがちなんですよね。
でも、カラダがないと生きてはいけないし。
「命」ということを考えたときに、すごく「カラダって何だろうな」って考えさせられるというか。
私は薬剤師だったので、病気の方とかと接するじゃないですか。
例えば肺が悪いとか、皮膚に炎症があるとか、どこかの臓器に病気を抱えている方と結構お会いするんですけれど。
その部分だけを治したとしても、その人がその後幸せになるかとか。
あと、年月が流れていくうちに、また違う症状を持ってきたりすることがあって。
部分だけを見つめて、部分だけを治そうとしてもダメなんだな
みたいなことを感じますね。
平岡:
ああ、でも確かに。
僕たちって普段、自分のカラダがあることが当たり前じゃないですか。
年を重ねていくほどに、
「カラダって何だろう?」
って、そもそもこの問いを考えなくなりますよね。
かおり:
考えなくなりますよね。
平岡:
なりますよね。
だから、さっきかおりちゃんから出てきた「部分」という言葉が、まさにだと思います。
僕たちは結構、自分の身体、肉体を物体のように感じていくのかなと思うんですよ。
ちょっと固定された物体みたいな感じですよね。
だから、
壊れたところを取り替えればいいとか、壊れたところをちょっと修理すれば大丈夫とか。
そういうイメージになりやすいのかなと思います。
かおり:
そうですね。
たぶん現代医学は、そちらの方に向かって発展してきたのかなって思うんですよ。
人間をパーツに分けて、それぞれの専門家がいて、他の部分のことは分からない、みたいなことがあるなと思っています。
なぜ「カラダLABO」の“カラダ”はカタカナなのか
平岡:
それこそ我々のメルマガ配信サービスも「カラダLABO」という名前ですけど、「カラダ」ってカタカナじゃないですか。
僕も改めて知ったんですけど、「からだ」を漢字にしようとすると、とんでもない種類、バリエーションがあるんですよね。
かおり:
そうですね。
「からだ」で変換できる漢字が、たぶん8種類くらいあるんじゃないかなと。
平岡:
もう外国人もお手上げですよね。
日本語を勉強するときに、「からだ…?」みたいな(笑)。
かおり:
本当に。
今回カタカナで書いていますけど、ひらがなでももちろん書けるし、漢字だと何種類もあって。
どの「カラダ」にするかっていうのも、私たち結構話し合いましたもんね。
平岡:
話し合いました。
なんかもう、読めるっちゃ読めるけど、「まあ見たことないな」みたいな漢字を使おうともしましたし。
かおり:
そうですね。
それぞれの漢字でも、どこからどこまでの範囲を表しているのかが少し違っていて。
一番オーソドックスな、体育の「体」だと肉体を表す。
一方で、ちょっと複雑な「體」という字もありますよね。
骨に豊かと書く「體」。
これだと「骨と肉からなる整ったカラダ」というような、“整っている”という要素が加わってきたり、とか。
平岡:
いいですね。骨に豊かで「體」って、いいですね。
かおり:
あと「身体」と書くものもある。
「精神」と「心」が加わってくるので、人間にしかあまり使わない漢字だったりとか。
平岡:
確かにヨガでよく出てくるのは、こちらの「身体」ですね。
かおり:
そうなんですよ。
英語だと“body”という一つの言葉で訳されることが多いんですけど、日本語ではどこまでを「カラダ」と呼ぶのか、その表現にもいろいろある。
平岡:
それで今回は、我々はカタカナを採用したということですよね。
かおり:
はい。
全部の意味合いを含めるためには、カタカナの「カラダ」に、皆さんそれぞれ好きに意味を入れていただくのがいいかなと思いまして。
平岡:
そうですね。
本当にシチュエーションによって、「カラダ」をどう表すかはケースバイケースで変わっていくということですからね。
人が亡くなったとき、「カラダ」はもう死んでいるのか
かおり:
現代医学的な考え方でいうと、物理的な肉体を「身体」と呼んでいると思うんですけど。
でも、人が亡くなったとき。
「死亡が確定しました」となったときにも、肉体のすべてが一斉に活動を停止するわけではないんですよね。
平岡:
ほお、そちらを詳しくご説明お願いします。
かおり:
臓器移植ができるじゃないですか。
平岡:
なるほど、そういうことですね。
「死」の定義と、肉体の状態のずれですね。
かおり:
そうなんですよ。
生命体としては「亡くなりました」と判断されていても、臓器や組織の状態が全部同じタイミングで一斉に変わるわけではない。
不思議ですよね。
そうなってくると、
「どこまでが肉体なんですか?」
「カラダって何なんですか?」
というのが、分からなくなりますよね。
平岡:
確かに。
それこそ本人は、自分で確認できないですもんね。
自分の心臓と肺と腸が、それぞれどうなっていくのかなんて、自分では分からないですもんね。
かおり:
そうなんですよ。
なんかヨガの哲学とかは、おそらくそこをちょっと深掘ったんじゃないかなって思うんですよね。
平岡:
ちょっと僕より先に、ヨガ哲学っぽいこと話すのやめてください(笑)。
かおり:
(笑)
私、分からないので、「そうなんじゃないかな」って。
たぶん、その肉の器的なものだけではないということを語りたくて、哲学というものが発展したのかなと思うんですよ。
昔のインド人は、カラダをどう見ていたのか
平岡:
でも、そうなんですよね。
特にヨガの「カラダ」について話をすると、
「昔の人はよく分からないから、こういうことをイメージしたり、妄想したりして、カラダを捉えていたんだな」
みたいに思われがちなんですけど。
古代インドでも、実際の身体を観察しながら、身体について考える文化はあったんですよね。
動物を用いる儀式もありましたし、その後のアーユルヴェーダの医学文献には、遺体を観察して解剖学的な知識を得ようとする方法も出てきます。
かおり:
ほうほう。
平岡:
そうした身体の観察を通して、心臓や肺や血管など、身体の中にいろいろな構造があることは知られていった。
ただ、現代医学のように、
「この器官が、なぜこう動いているのか」
「生命全体として、どうやって動き続けているのか」
ということが全部分かっていたわけではない。
そこで、生命の働きを説明するための一つの概念として、プラーナという考え方があったりするんですよね。
かおり:
うんうん。
平岡:
さらに後のヨガやタントラの伝統では、チャクラなどを含む、いわゆる微細身の身体観も発達していきます。
なので、
「昔の人は身体のことを何も知らなかったから、全部想像した」
というよりは、
実際の身体を観察しながら、それだけでは説明できない生命の働きを、別の体系でも考えていった。
僕はそこが面白いと思うんです。
かおり:
なるほど。
謎を埋めるために哲学がある。
平岡:
そうです。
かおり:
面白いですね。
平岡:
面白いですよね。
科学的に見ても、身体を構成しているものってたくさんあると思いますし。
僕の場合、ヨガの哲学や思想から見ても、カラダを構成しているものってたくさんある。
テーマが「カラダ」だと、もうとんでもない量の情報を話せますよね。
きっと、かおりちゃんも。
かおり:
そうなんですよ。
だから「カラダのしくみ」って言ったときに、
「テーマ、大きいな」
と思って(笑)。
平岡:
もう何十時間でも話せそうな。
かおり:
8回ぐらいに分けられそう(笑)。
平岡:
僕がちょっと、
「いや、かおりちゃん、ちょっと話しすぎですよ」
とかセーブしていかないとなと思いながら(笑)。
バラバラのパーツを「ひとつの命」にしているもの
かおり:
いろんなパーツでできてはいるけれど、それを取りまとめているシステム自体がないといけないな、と私は思っていて。
なので、身体についての講座をするときは、一番最初に、
「命を営んでいくうえで、こういうシステムがありますよね」
というお話をすることが多いかなと思います。
平岡:
確かに、そのシステムのことに関して、僕たちは意外と習ってこなかったりすることが多いですもんね。
かおり:
そうですね。
当たり前に経験しているので、そこを特別なものとして注目することがないのかもしれないですね。
平岡:
そうですよね。
考えて動かしているわけじゃないですもんね。
「心臓、動け」とか。
かおり:
「血液を末端まで運べ」とかね。
平岡:
「食べたものを消化するぞ」みたいなことも、自動でしてくれているわけですからね。
ほったらかしにしすぎちゃいますよね、どうしても。
かおり:
やっぱり、意識して手足を動かすところは、
「自分がこうやっている」
というのが分かる。
でも、無意識に営まれているシステムに関しては、とても分かりづらいんじゃないかなと思います。
何もしなくても、身体は動き続けている
平岡:
本当にそうですよね。
例えば横になって、
「何もしないぞ」
って、身体から脱力したとしても。
当たり前ですけど、呼吸するためにお腹や胸が動いていたりする。
呼吸を止めようとして静かにしようとしたとしても、身体は脈を打っているので、その分ちょっと振動していたりする。
本当に、
この身体って常に動き続けているな
とか、
自動的に働き続けているんだな
って思うんですよね。
そこを改めて、
「あ、こういう理由でこういうことが起こっているんだ」
と知っていくと、めちゃくちゃ楽しくて。
僕は以前、かおりちゃんの講座を受けたときに、身体の勉強に、なんていうんですかね……「宇宙を感じた」と言いますか。
かおり:
宇宙の流れている仕組み的な?
平岡:
そう。
「知っていた」と思っていたけど、この皮膚の内側では、もうこんなにもたくさんのことが起こっている。
ちっちゃいはずの身体に、すごい広大さを感じたんですよね。
それがすごく変な感じがした。
不思議な感じ。
かおり:
確かに。
細胞一つ一つの中が宇宙みたいな感じですもんね。
平岡:
そうなんですよ。
数十兆個の細胞を、どうやって取りまとめているのか
かおり:
単細胞生物だったら、ちょっと分かりやすいんですけど。
私たちって多細胞生物じゃないですか。
人間の細胞って、よく「37兆個くらい」って言われますよね。
平岡:
はいはい。細胞の数が。
かおり:
そう。
37兆の人を取りまとめるって考えたら、難しいなと思いません?
平岡:
いや、難しいですし。
「兆」を超えた時点で、もう数が多すぎて。
億からもそうですけど、想像すらできない世界ですよね。
かおり:
そう。
一つの都市が、例えば大きな都市で200万人とかだとして。
その人たちって、みんな同じ働きをしているわけじゃないじゃないですか。
みんなバラバラで、それぞれ望むことがあって。
それを取りまとめて、
「カラダは明日も同じように命を営んでいくんだ」
という目的のもとに、統制が取れているというのがすごいなと思うんです。
そのために、生まれつきいろいろなシステムが備わっている。
その一つが、恒常性と呼ばれるものですよね。
ホメオスタシスとも言われますけど。
平岡:
はい。
かおり:
身体の内部の状態を、ある一定の範囲に保ちながら命を維持していく。
そういうシステムが、身体の仕組みとして大前提にあるのかなと思います。
平岡:
そうですよね。
いや、そうなんですよね。
その身体の秩序があるにもかかわらず、脳でそれを無視することもできますもんね。
かおり:
そうなんです。
あえてその秩序を崩すようなことをしてみたい、とか言いますもんね。
「カラダ」だけで、何十時間でも話せそう
平岡:
いやいや、もう話すテーマが多すぎて(笑)。
我々はこれから「カラダ」ということを、テーマごとに調べて、発表して、皆さんの意見を聞いて、というのを繰り返していこうかなと思います。
かおり:
そうですね。
たくさんの仕組みがありますもんね。
平岡:
そうなんですよ。
実際に「カラダのしくみについて話します」というタイトルを言ったにもかかわらず、まだ仕組みそのものの詳しい話をしないまま、もう16分も経過しております(笑)。
それぐらい、僕もずっとカラダについて探求してきたなと思っているんですけど。
僕よりさらに長い時間、違う角度から探求されているのが、かおりちゃんじゃないですか。
かおり:
いや、でも年月はどうなんですかね。
違う方向から掘っていったら、同じところにたどり着くとかもあるし。
「私の方が」とかっていうのは、あんまり感じてないですよ。
平岡:
そんなご謙遜もありがたいなと思いながら(笑)。
大先輩のかおりちゃんに追いつけるように、精進していきたいなと思います。
ということで、今回は前編として、音声メルマガはここまで。
続きは後編でやっていこうかなと思います。
かおり:
はい。じゃあ続きは後ほど。
平岡:
では皆さま、後ほど。
▼ご購読の登録はこちら